日焼けした乱暴な手は、化粧を落とそうと激しく動いた。「 タロウ 、痛いよ」
そのとき車が走り去る音がした。やぶにらみは、待ちきれずに行ってしまったのだ。
「さあ、来るんだ」
太郎は、アニタを海のほうへ強引に引っぱった。砂にハイヒールを取られてアニタは膝をついたが、太郎はそのまま海岸を駆けた。赤いハイヒールが脱げて、白い砂浜に転がった。
「こんなもの、子供が顔に塗っちゃだめだ!」
波打ち際で海の水をすくい、太郎は必死になってアニタの化粧を落とした。アイラインが水に溶け、顔一面が黒いまだらになった。洗う手に太郎が力を込めすぎたのか、
「痛い!」
とアニタが悲鳴を上げた。太郎が擦りつづけると、たえきれなくなって二つのまなじりから涙があふれた。それでも、日焼けした乱暴な手は、真っ赤な口紅を落とそうと激しく動いた。
「痛いよ、タロウ」
ついにアニタは声をたてて泣きだした。それでも、太郎は少女の顔を洗うのをやめなかった。太郎の頬にも何かが流れ、口に入った。かすかに塩の味がした。
波のしぶきだ! しぶきに決まってる。
水平線に落ちていこうとする夕陽が、膝まで海に浸かったふたりのシルエットをくっきりと描いていた。
やっとのことで、アニタの素肌に塗りたくられた化粧が落ちた。見慣れた十二歳の顔が甦った。最後の仕上げに両手で水をすくい取り、太郎はアニタの顔を流した。
「タロウ、ひどいよ」
「・・・。アニタ?」
「え?」
「波乗りするか?」
「・・・」
「ボードを貸してやるから、服を替えてこいよ」
少女は小さくうなずくと小屋に戻った。そして、いつものTシャツに着替えると砂浜を駆けてきた。
「ターロー」
アニタの普段の元気な声だ。
茂みの陰の隠し場所からサーフ・ボードを取りだして、太郎は海に入った。
アニタも水に飛び込んで太郎を追ってくる。水でTシャツが濡れ、裸も同然だ。そんな姿をかまうことなく、アニタは足が立たなくなると泳ぎだした。そして、太郎からボードを受け取ると、テイク・オフ・ポイントについた。波はやはりアニタを待っていたかのようにやって来て、少女を運んだ。空でもつかまえるかのように両腕を広げて、大きなボトム・ターン。波のフェイスをアニタは優雅に上下した。太郎がくやしくなるほど完璧なライドだ。
太郎の脇を通り過ぎるとき、アニタは少年たちの真似をして、
「イー、ハー」
と叫んでみせた。
その目元に、青のアイシャドウがかすかに残っているのを太郎は見た。
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キミの探すものは、ココにある!
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小説「ソウル・サーフィン(セネガル・カサマンス州カップスキリング岬にて)」
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旅の準備も、晩ご飯も、届けてくれたら、ありがたい。(M)