「もう一回だけ」「もう一回だけ」と呪文のようにくり返し、波に乗り続ける。

            第三章


 「ピート、ショート・ボードを教えてくれないか?」

 「いいが、どうしてだ? ロング・ボードは飽きたか?」

 「ロング・ボードで満足していたら、老け込むよ」

 「馬鹿なことを言うな!」

 「ピートみたいに、波をかっこよく削ってみたいんだよ」

 オアハカの秋は雨の季節だ。北回帰線に寄っていた太陽が赤道に帰っていくとき、冬のあいだの大地を潤す雨が降る。夕方に一時間だけ降ってぱたりと止む熱帯の雨は、潮風でべたつく肌を洗い流してくれる心地よいシャワーだ。雨上がりにかかる虹は、青い空にくっきりと弧を描く。

 メキシコに来て早二月となる太郎は真っ黒に日焼けし、村の子供たちに混じると見分けがつかないほどになった。短くしていた髪もかなり伸び、塩水に色が抜けて、光の角度によっては茶に光った。ひ弱だった体も、毎日のパドリングで見違えるように筋肉がついた。

 ラ・プンタの「ロケット発射台」と白い砂浜を往復する。それだけで成り立った単純な日々。太郎はこんな充実した時間を過ごしたことがなかった。

 もちろん、いつも簡単にテイク・オフできるわけではない。タイミングが合わなければ、波から落ちてパーリングだ。ショート・ボードは体重の移動にとても敏感で、ほんのわずかの失敗も許してはくれない。青い領地に思えた海は、嘲笑うように太郎の足をすくった。

 またパーリングかよ!

 頭から波の底に落ちて、太郎は思う。そして、押し流される。

 太郎はこれも好きになってきた。

 KOされたボクサーって、これに近い感じかなあ?

 太郎は波に揉みくちゃにされながら、そんなことを考える。リングの中で倒れた男はこの上なく気分が良いのだという。

 やられる、という感覚も悪くないよな。だいたい、そんなにあっさり勝っちゃったら、海に失礼じゃないか。

 それから、太郎は「疲れ果てる」というのも気に入っていた。サーフィンをやりすぎて筋肉の中に乳酸が詰まった状態。水をたっぷり吸った綿が体にへばりついているような感覚。重い脚を小屋まで引きずると、それが妙に気持ちよかった。 しかし、いちばん気持ちよいのは、「決める」という瞬間だ。近づいてくる波は、どれも乗れる波とは限らない。ほとんどは乗れない波だ。その中からテイク・オフできる波を選び、これだと思ったら躊躇せずにパドルする。その迷いのない時間を陸で感じることは、稀だった。海には、太郎の求めているその時があった。

 はじめのうちは、一日に一回でもその瞬間が味わえると太郎は大いに満足した。しかし、次第に、二回三回でも物足りなく感じるようになってきた。

 朝ハンモックの中で目覚めると、まず最初に海を見た。

 今日は、デカいか?

 大きい波ほど、決断の快感も大きいのだ。

 海に入っていても、大きい波に乗りたくてたまらない。待ちきれずに小さい波に乗って、沖に戻るときに大きいのが来たりすると、ボードをぽーんと叩いて悔しがった。それが何度か続くと、目の前に来ている波は常にその次の波より小さい気がしてくる。沖に戻るときにダック・ダイブして避ける波は、常に自分が乗った波より大きいと思えてくる。

 そうなると、もう海から上がれない。

 しまった。もう少し待てば良かった!

 砂浜から「発射台」に割れる波を見て、太郎は後悔する。後悔したくないから、水の中で「次こそは」と信じて待つことになる。

 良い波に乗れてしまったときは、なおひどい。

 より強い刺激が欲しくなり、

 「もう一つだけ」

 「もう一つだけ」

 を呪文のようにくり返し、日がとっぷりと暮れても波に乗り続けることになるのだ。

  1. 箇条書き項目キミの探すものは、ココにある!

  1. 箇条書き項目コ、コレが欲しかったんだよ!